Takamori Saigou
西郷南州隆盛公
明治維新の頃、隆盛公が幕府の難を逃れ幕府転覆の策を謀り、密令を発した場所が京都・東福寺方丈の東側にある。
境内奥地の茶亭であった(現在はない)ところで現在、即宗院という東福寺塔頭のひとつである。
当時はその茶亭で新撰組や幕府の追手を逃れ謀議していたが倒幕後、隆盛公は明治維新で戦死した
霊を供養し明治2年に隆盛公が自筆した「東征戦亡の碑」を建てた。
竜馬ブームや流行りの歴史的に有名な人物の墓石巡り(主に都内)を意識した訳ではないが、
自分の名前が隆盛公の1字をとって付けられていたと親から聞かされていたこともあり訪ねてみたいと思っていた。
ただ、即宗院は通常非公開となっている。今回は「京の冬の旅」 非公開文化財特別公開というイベントの
1つとして拝見できた。年に1度紅葉の時期に公開しているという。この時期の公開は初とのこと。
隆盛公が自筆した「東征戦亡の碑」を拝見するのだが、
墓碑は即宗院裏の高台にある。
当時このあたりは「格好の隠れ処」だったそうだが、たしかに雑木林に囲まれて独特の雰囲気がある。
墓碑の前に鳥居。戦死した方々は神として祀られていた。
「東征戦亡の碑」横の献燈は飾らない石柱ベースのデザイン。
明治2年と刻印があった。
「東征戦亡の碑」
隆盛公が半年間身を清め自ら筆をとった、東征に倒れた戦亡者524人の鎮魂の墓碑。
墓碑は他にもあり、そこには苗字(士族の身分ではない)のない方々の名前まで調べ上げ書かれている。
石碑においてこれは珍しいとのこと。西郷隆盛公の人物像が浮かび上がってくるようだった。
■Photography place:
京都・即宗院にて
■Equipment used:
PC-E NIKKOR 24mm F3.5D ED
(by hand)
by neosilent | 2010-03-28 23:43 | 風景・街